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2007年4月 4日 (水)

4月4日

Namigasira 昭和4844日の長崎県野母崎町は、前日の小さい低気圧の通過で弱い冬型になり、日射しは強いものの海上は強い風でウサギが跳んでいた。午前中、スキューバ潜水をするための試験の一つ両手を挙げての立ち泳ぎ30分(1時間だったかもしれない)の追試に合格した私と三田くんは昼からの初めてのスキューバ潜水に期待と不安でいっぱいだった。

長崎大学水産学部には潜水をしながら海洋生物の研究をしようという潜水部というクラブがあったが、潜水ということばでは漁業者や漁協に聞こえが悪いということで、海洋研究会と名前を改めたばかりであった。当時、貧乏学生ばかりが集まっていたクラブでは、常時スキューバ潜水を行うことは夢のような話で、通常は長崎市近海で素潜りを行いながら生物の採集や潜水技術の向上を目指していた。スキューバのボンベやレギュレーターは、クラブ所有のものが二組あるだけで、素潜りで完璧に潜ることができなければ、安全なスキューバ潜水はできないという考え方から、一年生が初めてスキューバ潜水ができるのは春休みの野母崎合宿で、しかも遠泳を始め、垂直潜水10mなどのいくつかの試験があり、その中に前述の立ち泳ぎの試験もあったのだ。

Nomo2  野母崎町は長崎市の南にある漁村で、学部の実験場があり何十人かの宿泊もできるし学部のボンベや船外機も借りられる非常に便利なところであった。

クラブには数人の一年生がおり、私と三田くん以外は前日に試験に合格してスキューバ潜水を終え、夕食時には口々に素潜りとは違った海底の美しさや、生物の動きを教えてくれる。試験に落ちて潜れなかった我々を羨ましがらせようとしていたのだろう。

それでも何とか試験に合格した私たちは、冷やかし半分の同級生や先輩とともに船外機付きのボートに乗り込み実験場の北、水深十メートル位のところにアンカーを下ろした。私はM先輩と、三田くんはF先輩とバディを組みそれぞれに潜り始めた。潜る前に誰かが「三田、死ぬなよ」と冗談を言うと、三田くんが「俺が死んだら今日の食事当番だから、みんな飯を食えないぞ」と返事をして笑い合った。

初めてのスキューバ潜水は本当に感動の連続であった。カンザシゴカイ類の触手や、アミの眼の光、ガンガゼの棘の動きに夢中で30分ほどの時間を過ごした。M先輩の浮上の合図があり、初めてのスキューバでの浮上は緊張するものだった。浮上すると、仲間がすぐに船を寄せてくれておめでとうのことばとともに引き上げてくれた。どうやら、私たちの方が三田くんより早く浮上したようだ。

Nomo_1 船上の仲間たちは、次にどこへ浮上してくるのかあちこちに目を配りながら、探している。すると船から数十メートル離れたところに浮上、しかしF先輩の動きがおかしい。明らかに救助を求めている。船を寄せて、三田くんを船に引き上げてみるともう彼の意識はない。心肺停止状態である、すぐに先輩たちが心臓マッサージとマウスツウマウスを始める、船はすぐに実験場裏の海岸に乗り上げ、救急車を呼ぶとともにウエットスーツをハサミで切り、人工呼吸を続けた。何もできない私たちは、手指や足先のマッサージを始めた。「生き返ってくれ、生き返ってくれ」と祈りながら、しかしそれとは反対に手足は冷たくなっていったのだ。

あれから30数年、彼のことを覚えている人間が何人いるだろうか。

いや、我々仲間はきっと44日を忘れないだろう。あの日あの海岸にいた者は、それぞれの場所にいても忘れることはない、一年に一度三田くんのことを思い出すのだ。

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コメント

一緒に黙祷させてください、高校時代の8月15日に交通事故でなくなった同級生を思い出しました。

投稿: 北割H | 2007年4月 4日 (水) 23時14分

北割さん、ありがとうございます。

あっという間に時は過ぎていくんですね・・・・・

投稿: からっぽ親父 | 2007年4月 5日 (木) 15時07分

投稿: あい | 2012年4月 4日 (水) 17時15分

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