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2007年10月10日 (水)

塩の道

Akihaji1 掛川の実家へ帰ったら、今年定年退職した兄が(俄)郷土史家になっていた。掛川城の歴史やそれ以前の掛川城、また高天神城などわずか数ヶ月でよくもこう頭に入れられたなぁと感心してしまった。

その話の中で【塩の道】の話になり、「あちこちにも塩の道があるが、ここ掛川にも塩の道があり、最近はそれを自転車で訪ね歩いている」とのこと。

Akihaji2 遠州灘の相良(さがら)から北進した塩の道は掛川市内で三つの道に分かれ、森町に入る手前で合流しているのだとか。(この辺は兄が本物の郷土史家に聞いてきた話で、多少聞き間違いがあるかもしれない)

この塩の道は秋葉神社を経由する秋葉街道であり、その後北進して信州に入り、塩尻にいたる。
http://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/sionomiti/index.htm
実は、その兄の講義を一杯飲みながら聴いていたのだが、その塩の道=秋葉街道は実Akihaji3 家のすぐ横を通っている細い道である。昔、親父が冗談で「森の石松が旅の途中で、水をもらっていったかもしれないなぁ・・・」と言っていたが、その頃はその道は通学路であり、遊びに行く道であり、何も考えずに利用していた。

「片道20分ほどだから、散歩がてらに行ってみたら」とのすすめで、翌朝歩いてみた。

民家沿いの、車が一台通れる道を過ぎると畑の中の細い道になり、その後なだらかな山道の先にこのような崩れかかったトンネル(当時は隧道とでも言ったのだろうか)がある。この坂を兄は【しょうかん坂】と言っていたが、どのような字を書くのだろうか。

掛川市の「崩れるから危険」という看板が立ててあったが、通る人は少ないだろう。年老いた母が、孫が(兄の子)小さかった頃に、この先にあるプールへ連れて行ったという発言があり、ビックリ。確かに車が運転できない人間にとっては、こんな道も便利なのかもしれない。
Akihaji4 トンネルを抜けると、さらに荒れた道が少しあり、その下は工場が建っていた。

このように現代ではあちこちで歴史的なものが破壊、分断されているが、秋の早朝、少しだけ古代のロマンに触れることができた。

それで、兄だが、現在掛川城のボランティアガイドをやっているらしいので、もし掛川城に観光に行く方があったら、話を聞いてやって欲しい。(スペイン語のガイドもできるかもしれない・・・)

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コメント

遠州灘とか森町と出ますと、遠州森の石松って
どうして続きますが~。
歴史の道歩いてみたいですね。
お兄様はいつかテレビに出られた方ですね
(*^_^*)
トンネルはすごく狭そうで、低い!
お母さんはよく通りましたね!

投稿: おーちゃん(chiba) | 2007年10月10日 (水) 21時12分

おーちゃん、おはようございます。
実は前日に遠州森の石松のお墓に参ってきました。
森町はとても良いところですよ。
きょう、森町の写真をアップしておきましょう。

投稿: からっぽ親父 | 2007年10月11日 (木) 04時33分

秋葉街道、塩の道。伊那谷を通っているのですね~、そして塩が集まり終点が塩尻。良く出来ていますね。秋葉街道及び周りを見ますと塩に関連したところがあります、有名なのは大鹿村の鹿塩(かしお)温泉があります。此処は山の中なのに塩があります、地中奥深くから汲み出すのですが確かに猛烈にしょっぱいです。昔、海だったのだと言われます。

投稿: 北割 | 2007年10月11日 (木) 21時12分

遠州から三河、そして信州と言葉がそっくりですね。おそらくその昔はかなり交流があったのでしょう。

私の実家は、掛川市富部(とんべ)というところです。この地名は下諏訪にもあり、そこから移住してきた部落だと言います。他にも何百年もの昔の話が結構言い伝えられていて、その伝承に年寄りってのが大事な役割を果たしているんですね。

投稿: からっぽ親父 | 2007年10月12日 (金) 15時08分

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