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2008年3月 3日 (月)

三ヶ根山2

Yamamiti1 この日は別の登り口を行ってみることにした。

やはり小さな車が通れるほどの道だが悪路には違いない。オフロードバイクが私を追い越していったが、敷き詰められた枯れ葉に運転がしづらそう。

三十分ほどで【殉国七士廟】の東に出たので、そのまま小野ケ谷登山道を下山してみた。私の場合は頂上を目指すためではなく、時間と距離を稼ぎメタボ解消を目的にしているので、何度かのアップダウンがある方がよいのである。下り始めるとすぐにマウンテンバイクの二人にすれ違う。「すごいねぇ~」と言うと「いやいや歩きの方が大変ですよ」と何となくお互いを讃え合う。
Yamamiti2 しばらく山道を降りていくと【小野小桜屋敷跡】という案内があったので、登山道をはずれて登ってみたら、このような看板があった。見にくいだろうから、下に転載する。

小桜遺跡について

 ここは小野小桜(おののこざくら)が住んだといわれる屋敷跡です。
 室町幕府14代将軍足利義澄に仕えていた三浦安房は、同じ女院警護にあたっていた女官小野小桜と恋仲になり、小桜が懐妊したため二人は、京を逃れ寺部城の家老大嶽氏を頼って幡豆に来ました。天正7年(1510年)のことです。

 二人に同情した大嶽氏は城主小笠原安芸守と相談の上、将軍家へのきこえをはばかり、ここ小野ケ谷の三の沢に庵を建てて住まわせました。

 二人は田畑を耕し、三人の男の子にも恵まれ幸せに暮らしていましたが、ふとしたことから小桜が病の床につきました。

 病気が重くなったとき、小桜は、夫の安房を枕元に呼んで、自分が小野篁の子孫であることを告げ、自分の死後は小野家の家名が絶えるため、二男に小野の姓を名乗らせてくれるように頼んで息をひきとりました。
   ※小野篁(平安時代の漢学者として有名)

 小桜の頼みを聞き入れて、安房は、長男には三浦の姓を、二男には小野の姓を名乗らせました。
 そして三浦の子孫の方は西尾市に、小野の子孫の方は幸田町に、今日まで家系が続いています。

 なお、ここ小野ケ谷の地名は、小野小桜に因んでつけられたものともいわれています。(幸田町小野家の家系図より)

Kozakura1 屋敷跡は、この辺特有の石で積まれた痕跡が残っている。周辺はヒノキが植林されていて鬱蒼として薄暗いが、当時は雑木林に囲まれ家の北と東が山、南と西が開けてとても明るいところだったと思う。

またすぐ前に、雨期ではないのに流れの音がするほどの沢があるので、当時としてはとても暮らしやすい所ではなかっただろうか。
Kozakura2 とんだところで、古代のロマンに思いを馳せてしまった。

帰りはそのままもと来た道を帰った。

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