今朝も徘徊
ここはどこ?私は誰?という状態で今朝も歩いてきた。
知らないところを歩くのは気持ちがよいもので、刈谷市の県道48号線を北上、国道155線に出たところで左に折れ逢妻川、境川を渡ったところで川沿いの土手をさらに北上した。ここは既に大府市である。出発したのが5時前で、今日は曇っているので周囲があまり見えないが境川はあまり整備されていないのでゆるやかに流れている。
土手の斜面は外来植物が多いが、所々にツリガネニンジンやワレモコウ、カワラナデシコなどが見えて何となく嬉しい。新幹線の線路をくぐりさらに進むと伊勢湾岸道が見えてくる。
この辺になってくると帰りの心配をしなければならない。つまり、かえりはどこかの駅から電車で帰るという実に横着な方法を覚えてしまったのだ。
それにしてもこの辺はもう豊明市なのだろうか?それならばと街の方へ歩いていくと名鉄の線路らしきものが見えたので、それに沿って西方向に歩くことにした。
さて、豊明駅で電車に乗ろうか、次にしようかと迷っていたら「阿野一里塚」と書いてある、ということはここは旧東海道か?説明を見ると、道の両側に塚が残っているのは珍しいんだとか。これに気をよくしてさらに歩くと「名鉄 前後駅」に到着。足はまだまだ大丈夫なので、さらに歩くと「中京競馬場前」、さて電車に乗ろうかと駅まで行ったら、この辺の近くに「桶狭間古戦場跡」があると書いてあるので、引き返して見学してきた。
当然の事ながら、古戦場跡と言っても全体が公園となっているだけで、当時の状況が想像できるわけではないし、石碑なども明治、大正期になって建てられたものだけであるが、この地で織田信長が今川義元を破ったのかと思うと、急襲した馬の足音が聞こえてくるような気がする。
これは今川義元の墓だというが、もちろん明治時代に造られたものだという。地元としてはやはり祟りを恐れたものであろうか。このような無念を持って死んでいった方々の墓はあちこちにあるようだ。
さて徘徊はさらに続く。
中京競馬場前の次の駅が「有松駅」だと知ったので、よし一度は名古屋市へ足跡を残さねばと歩きだした。
有松にはいると有名な「有松絞り」の店というか工房というか、とにかくたくさん見える。ちょうど焼き物の街の工房のようにあると思えば間違いない。
どこか見学をしたいが、なにしろ時間はまだ8時前である。もちろんどこも開いていない。こんな時は早朝徘徊は実に悲しい。また日中、店が開いている頃訪れようと心を残して有松駅から電車に乗った。
約3時間の徘徊、しっかり歩き160分17574歩であった。
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コメント
ほう~、今川義元さんの墓石はやはり斜めに切り出されているんやな…南無~
投稿: 立つ人 | 2008年9月29日 (月) 18時52分