今日は四月四日
きょう四月四日が同級生三田君の命日ですそして彼が亡くなった経緯を何年か前にこのブログで掲載したことがあり、彼を忘れないためにも毎年、その記事をアップしていました。最近は、再掲載をしなくなりましたが決してそのことを忘れたわけでもなく、今日四月四日には手を合わせて、この記事を読み返すことにしています。
また今年は辺野古での痛ましい女子高校生の死亡事故があったのでなおさら胸が痛み、自分が書いた記事であっても読み返しながら、心が重くなってしまいます。
http://pinno601.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/44_9cc6.html
このブログへ偶然立ち寄って下さった方も、ぜひお時間がありましたら読んでみて下さい。
実は三田君とは同じクラブに所属していましたが、プライベートで仲が良かったわけではありませんでした、一緒に飲みに行ったこともないし、お互いに下宿を行き来したこともありません。私が大学入学時からクラブへ入ったのですが、彼はその年の年末だったか年が明けてからの入部だったのではないでしょうか、とはいえ小さな学部の同級生、たったの100人足らずしか居ないのですから、顔も名前も学園祭や早朝訓練・カッター訓練で一緒だったはずです。もう水産学部なんてものはみんな仲間みたいなものなんです。
今思うとこの三田君とバディを組んだF先輩、事故当時実に落ち着いていたと思いますね。スキューバ潜水で海底に居た三田君に浮上のサインを出して、いつ彼の体に異変があったのか恐らく海底か浮上途中だったと思われます。先輩と言っても我々より一学年上なだけです。が実に冷静だったと思います。
浮上してから、近くに居る舟に見つけられたとき、明らかに異常が見られましたので、それまで三田君をしっかり確保して、浮上して合図を出したF先輩、浮上してしばらくは責任感にさいなまれたのか錯乱状態でした。
今考えると、先輩のこの錯乱状態からして三田君の異変は、浮上してからではなく海底に居るときに既に起きていて、呼吸もしていなかったのではないでしょうか。先輩は三田君の絶望状態をかなり推測してしまったのではないでしょうか。この辺の事実は、我々には知らされませんでしたし、先輩とはその後も付き合いがありましたが聞くことはもちろんありませんでした。
三田君の通夜が実験場で行われたその夜、彼とは今までで一番長く付き合ったことになります。
その後も、学部やクラブの飲み会がありましたが、中には無神経な方が居ましてね、その事故の事はもう話をしないという暗黙の了解があったのですが、さらに一年上の先輩Y氏がクラブの飲み会の度にこの事故に触れましてね、F先輩が号泣していましたが、全く心ないことをするものだと内心憤慨したものです。
このように突然の事故死というものは周囲の人間の人生も狂わせてしまうものです。三田君のお母さんはその後心労のため亡くなってしまったと聞きました。F先輩は卒業後お目に掛かったことがありませんが、この事故が彼の人生に悪影響を与えることなく、現在が幸せであることを祈って止みません。
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