ちょっと恐い
大荒れの夜が終わって、空気中のホコリが流された朝、ちょっと恐いものを見てしまった。
サヤエンドウを守るためか、生首が一つ・・・・・
最近、恐い事件が多いのでちょっとドキッとしてしまう。
天気は昨日とは一転、低気圧の去った後の強烈な西風です。昨日のカモメさんたちは本日西に向いて並んでいるかといえばそうではなく、旧一色漁港にプカプカ浮いています。そりゃあ二日連続でさぼっているわけには行きません。このような天候ではただでさえ漁船が出ないので、捨てられる魚もないから、カワウの獲物を横取りしようとしているのかもしれませんね。
いずれにしても、外海では白波が立って出かけていく気分ではないのかもしれません。
繋留してある漁船が大きな音を立てたのでユリカモメも一斉に飛び立ちました。
というわけで、市場も魚が少ないので何を買おうかと悩みましたが、深谷さんに小さなタイラギが8個くらいで300円「篠島から来たタイラギだよ」とのことなので2皿購入。
隣の魚兼さんでまたまた例の「三河湾産ハタハタでも買うか」と言ったら「これはこの辺では獲れないよ」との恒例のやりとりをして、300円で購入。
鰓と内臓を取り除いておいて、今度こそ南蛮漬けを作ってもらいましょう。
きょうは4月4日、昨年ここで書いたように三田くんの命日です。
http://pinno601.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/44_9cc6.html
この季節、暖かくなっては来ているものの、低気圧の通過後は三河湾でも波頭が無数の白ウサギが跳ねるように見え、長崎と三河湾の違いがあってもそんな日は、よりあの日のことが思い出されます。
彼とは同じクラブに入っていたものの、彼が入部したのはこの合宿の少し前で、それまではあまり話したことはありませんでした。
鳥取県の倉吉の出身、パチンコが好きだったそうです。あの時迎えに来られていたお父さんは、いまの私と同年代だったはずです。その後、お母さんが心労で亡くなられたと聞きました。あの頃でも、全くやりきれないような気分になったものですが、今この年になるとなおさら親の心というものが察せられます。
きょうの三河湾は、あの日とはうって変わったような穏やかな春の海。久しぶりに昔を思って、海岸徘徊をしました。合掌。
土日にさかな村に来られた方はよくご存知だが、非常に混雑している。駐車場も近くにないのでかなり離れたところに停めざるをえない。
またこういった休日はお子様も休みなので、親子で買い物や見学をしている方々が多い。
こういったとき気を付けなければいけないのが【歩きタバコ】である。不思議なことにかなり多くの方が(男性のお年寄りが多い)くわえタバコならともかく、
このように手にしながらフラフラ歩いているので小さいお子様の顔の高さは非常に危険である。ここさかな村では、嫌煙権よりもさらに危険なやけどの恐れが多分にあるのだ。
平日のさかな村はそれほどの人出ではないので仕方がないが、土日だけは禁煙、もしくは歩きタバコ厳禁を通達するべきではないだろうか。
台風が近いためか、きょうはあまり魚がなかったような気がする。天然ウナギらしきものが出ていたが買う人がいるのだろうか?
久しぶりに雨の朝だったから、先週の火曜日か水曜日(8/21か22)早朝5時前に家を出て仕事に向かっていた私は、後ろの車がピッタリと私の車に付けて煽っているのに気が付いた。雨は降るし、おまけに暗いしで、うるさいなと感じつつもややアクセルを踏んだのだが、同じくむこうもなおさら煽ってくる、こちらのスピードが法定速度を下回っているならともかくである。
見通しが悪い道路で事故を起こしてもつまらないのでやむを得ず、ウィンカを左に出して車をやり過ごしてからビックリ、なんとLPガスを運ぶタンクローリーではないか。その後タンクローリーは80km/h以上のスピードで高浜、碧南方面に走っていった。
このような危険物を運搬する車が、このような暴走運転をすることに非常に驚くとともに、一歩間違えば、車だけでなく沿線に住んでいる住民にも大被害を与えるだろう。大型トラックではタコグラフが装着されて、管理部門からスピードや運転状況を把握、保安につとめていると思っていたが、どうやらそのようなことは絵空事である。
このような危険物を運搬する免許こそ、特別な資格としなければならない。それも技術だけではなく、人間性の問題としてであろう。しかし、飲酒運転の時もそうだったが、おそらく大きな事故が何件か起きなければ、国は動かないだろう。
写真は全く同じ会社の同じ型のトラック。
こういった暴走運転の車は危険なので少しだけ情報を出しておこう。
石井運輸(株)静○ 80× か・930
近くに来たら要注意。
町内を車で走っていたら、お客さんから電話が入り、スイカをくれるという。
スイカは今の住まいに変わってから、どうも苦手なアイテムである。駐車場が遠いのだ。
一抱えもあるようなスイカをいただいても、重いし、丸いので上手く持てないし、困ったなぁと思っていたら、なんと小玉スイカであった。
最近では核家族化が進み、大きなスイカを家族揃って食べるような「サザエさん」のような家庭は少なくなっているだろうから、これくらいのスイカが手頃でよいのだろう。
連日、お中元シーズンで学生時代の友人から送ったり送られたりで、お礼の電話も行ったり来たりである。北九州の友人も、紀州白浜の友人も子供たちが全て大学生となり、各地でアパート住まいだとか、当然夫婦二人の第二の新婚生活である。「熟年離婚されないよう頑張る・・・」とは紀州の友人のことば、体力、気力ともに女房に勝てない歳になってきた。頑張って女房の大好きなスイカを運ぼう・・・・・それにしても多くないかい8個って。
昭和48年4月4日の長崎県野母崎町は、前日の小さい低気圧の通過で弱い冬型になり、日射しは強いものの海上は強い風でウサギが跳んでいた。午前中、スキューバ潜水をするための試験の一つ両手を挙げての立ち泳ぎ30分(1時間だったかもしれない)の追試に合格した私と三田くんは昼からの初めてのスキューバ潜水に期待と不安でいっぱいだった。
長崎大学水産学部には潜水をしながら海洋生物の研究をしようという潜水部というクラブがあったが、潜水ということばでは漁業者や漁協に聞こえが悪いということで、海洋研究会と名前を改めたばかりであった。当時、貧乏学生ばかりが集まっていたクラブでは、常時スキューバ潜水を行うことは夢のような話で、通常は長崎市近海で素潜りを行いながら生物の採集や潜水技術の向上を目指していた。スキューバのボンベやレギュレーターは、クラブ所有のものが二組あるだけで、素潜りで完璧に潜ることができなければ、安全なスキューバ潜水はできないという考え方から、一年生が初めてスキューバ潜水ができるのは春休みの野母崎合宿で、しかも遠泳を始め、垂直潜水10mなどのいくつかの試験があり、その中に前述の立ち泳ぎの試験もあったのだ。
野母崎町は長崎市の南にある漁村で、学部の実験場があり何十人かの宿泊もできるし学部のボンベや船外機も借りられる非常に便利なところであった。
クラブには数人の一年生がおり、私と三田くん以外は前日に試験に合格してスキューバ潜水を終え、夕食時には口々に素潜りとは違った海底の美しさや、生物の動きを教えてくれる。試験に落ちて潜れなかった我々を羨ましがらせようとしていたのだろう。
それでも何とか試験に合格した私たちは、冷やかし半分の同級生や先輩とともに船外機付きのボートに乗り込み実験場の北、水深十メートル位のところにアンカーを下ろした。私はM先輩と、三田くんはF先輩とバディを組みそれぞれに潜り始めた。潜る前に誰かが「三田、死ぬなよ」と冗談を言うと、三田くんが「俺が死んだら今日の食事当番だから、みんな飯を食えないぞ」と返事をして笑い合った。
初めてのスキューバ潜水は本当に感動の連続であった。カンザシゴカイ類の触手や、アミの眼の光、ガンガゼの棘の動きに夢中で30分ほどの時間を過ごした。M先輩の浮上の合図があり、初めてのスキューバでの浮上は緊張するものだった。浮上すると、仲間がすぐに船を寄せてくれておめでとうのことばとともに引き上げてくれた。どうやら、私たちの方が三田くんより早く浮上したようだ。
船上の仲間たちは、次にどこへ浮上してくるのかあちこちに目を配りながら、探している。すると船から数十メートル離れたところに浮上、しかしF先輩の動きがおかしい。明らかに救助を求めている。船を寄せて、三田くんを船に引き上げてみるともう彼の意識はない。心肺停止状態である、すぐに先輩たちが心臓マッサージとマウスツウマウスを始める、船はすぐに実験場裏の海岸に乗り上げ、救急車を呼ぶとともにウエットスーツをハサミで切り、人工呼吸を続けた。何もできない私たちは、手指や足先のマッサージを始めた。「生き返ってくれ、生き返ってくれ」と祈りながら、しかしそれとは反対に手足は冷たくなっていったのだ。
あれから30数年、彼のことを覚えている人間が何人いるだろうか。
いや、我々仲間はきっと4月4日を忘れないだろう。あの日あの海岸にいた者は、それぞれの場所にいても忘れることはない、一年に一度三田くんのことを思い出すのだ。
一色の町を巡回していると、非常にありがたいことにあちこちで手作りの野菜をいただく。しかも、今年は天候が温暖で野菜の出来がよいので、いかにも申し訳ないように「野菜、食べる・・・?」と言ってくれるが、こちらでは日々食べるものは全部買わなければいけないので、ありがたく恐縮しながらいただく。
この日は、キャベツ・大根・ブロッコリー・人参・みかん・伊予柑をいただいた。
野菜を積んで走っていると、ラジオで渥美半島のキャベツ農家のおばちゃんが、出演していて、面白いことを言っていた。
愛知県がキャベツの生産高では一番であるということは推測できたが、日本が世界の中で一番キャベツを消費するというのだ。
以下、国民一人あたりのキャベツの年間消費量。
1.日本 13kg
2.ドイツ 11kg
3.イギリス 7kg
4.フランス 4kg
帰ってから、事務所でこの話をしたら「トンカツのなどの付け合わせ・・・」「お好み焼きがブームだから・・・」はたまた「焼鳥屋で無料ででていた・・・」などと、喧々囂々。そのうちに、千切りキャベツには何をかけて食べるかという話になっていった。私はマヨネーズプラストンカツソース、あなたは何派?
暖かかった正月とうって変わった、この冬一番の本格的な寒波が降りてきて、本日は一色町消防団の出初め式だそうな。
消防団ってのは、公務員の消防署とは違って、消防以外の他の職業を持っている人たちが、特別に任命されて行う、いわばほとんどボランティアのようなもので、本当にご苦労様と、頭が下がる。ごくわずかの報酬もあるらしいが、当然消防団の親睦のために使われてしまうほどの、ごくわずかな金額だという。
また、火事だけではなくこの先、想定される東海地震が起きた際も、彼らのお世話にならなければいけない。規律正しい、号令のもときびきびと作業が進められていく。やはり、人命を守る作業では、このような命令系統がしっかりした、言い方は悪いが軍隊に近い方が効率的に動くことができるし、危険も少ないのだろう。
この写真は、本日のリハーサルの風景。
本番では、吹雪の中【放水訓練】を行ったそうだ。見たかった・・・・・
友人のウナギ屋さんがシラスウナギを購入したということで、見学に行ってきた。ここ一色町は全国でも有数の、養殖ウナギの産地である。
シラスウナギは既に100坪の池2枚に各35kgずつ入れられて、池の周囲を元気よく泳いでいた。尾数にすると、一池20万尾に近い数が入っているというから驚き。単純計算で、20万食分の鰻丼???
池はボイラーで加温されつつあって、上着を着ていると暑いくらいだ。池入れから一週間ほど加温を続け、30度くらいで餌付けをするという。餌付けは最初、暗くなってから始め、その後朝晩2回の餌を毎日定期的に与えるんだそうだ。
最初に与える餌は、イカや魚肉のミンチに人工的なフレーバーを付けたもので、非常にウナギの嗜好性が高いという。値段も結構高く、1kgで4200円。最初に与えるものは美味しいものでないと、今後の成績に影響するそうだ。
このシラスウナギは、来年夏の土用丑(8月30日)には、ほとんど200g以上に成長して出荷されているという。
黄色い着色料として有名だが、これを頻繁に利用する地域と利用しまい地域があるが、やはり野山に自生しているか否かによると思う。ここ一色町では、自生していない。
その昔、志摩地方に住んでいた頃はよくクチナシで染められた漬け物や、あられをいただいたことがある。あられは、独特の癖があったような記憶があるが、定かではない。
クチナシの一番の思い出は、その志摩地方でのこと。その頃、二枚貝の種苗生産と育成をやっていたので、地元のおばちゃんたちにアルバイトで来てもらっていた。ある時、昼食用のお茶葉が切れてしまって、きょうはお湯しかない、といったとき、一人のおばちゃんが林にはいって行き、クチナシの葉の付いた枝を一握り持ってきた。何をするのかと見ていたら、ガスの火の上で燃えないように炙って、やかんの湯の中につっこんだ。お茶がないときの、緊急代用茶だということだ。
お茶のような苦みはないが、青臭くもなく清々しい良い味だったことを覚えている。
天気の週間予報を見ていたら、明日あたりから急激に冷え込むとの予報だったので、車のタイヤを冬用のスタッドレスタイヤに交換してきた。タイヤは出入りのモータースにお願いして、保管してもらっているもので、実にありがたいことだ。
スタッドレスタイヤは高価なので、できるだけ長持ちさせるには、できるだけ短期間の装着にしなければならない。とは言っても、雪が降ってからでは間に合わないので、冬のシーズンは付けっぱなしになる、それでもと抵抗するのが付け始めを遅く、付け終わりを早くと思うこと。、実に微々たる事ではあるが。。。。
しかし、このタイヤを付けたといっても、急ハンドル急ブレーキなどの荒っぽい運転は禁物であるし、積もった雪道では雪用の準備をしていないのがほとんどの地区なので、道路は渋滞、家に着くのはやはり遅くなってしまう。昨年の雪では、10kmくらいの距離を実に4時間以上かけて家に帰った。
それでも、接触や追突の恐れが少しでも減れば良いかな。
話が前後するが、昨日のチョウゲンボウの飛翔している場所は、前述のごとく大豆の収穫真っ最中である。ここは、千生新田と新田の名前が付いているが、水田になったことはない。そのつもりで埋め立てられたのかも不明だが、最近までは家畜用の牧草が作られていた。ここ何年かは、冬から初夏にかけて麦を、夏から初冬にかけては大豆を作っているところが多い。
以前、イチビやセンナリホウズキ等の外来種が多く、それらのシードバンクとなっている、と報告した場所である。他にもこの場所は外来植物が多く、それらは家畜用の牧草が作られていた頃、その場所に牛糞が投棄されていたことと何らかの関係がありそうだ。つまり、外来の植物飼料を食べた牛の糞から、種が生き延びて発芽して増えていったことが考えられる。
大豆の収穫は当然コンバインによって行われるが、以前NHKラジオで農家の方が「収穫率は70%です」と言っていた。つまり、3割は収穫せずにこぼれ落ちるというのだ。とても良い機会なので、刈り取られたばかりの大豆畑を覗かせてもらったら、「あるわ、あるわ」大豆がゴロゴロ、いやコロコロかな?しかも虫食いでも何でもないきれいな大豆が落ちている。(画像をクリックしてね)これももったいないと拾っていたのでは、効率に合わないんだという。そういえば、昔のおじいちゃんおばあちゃんは、日当計算をしなかったからなぁ~、うぅ~ん、効率と言われれば文句言えないが、これだけ食べ物を無駄にしているのを目の当たりにすると、複雑な気分・・・・・
大豆も帰化植物のように、この種がシードバンクとなって半永久的に生えてくるってのは・・・・・ちょっと無理か・・・・・
今年のボージョレーヌーボーが解禁されたそうで、鮎とか、狩猟とかの解禁のように思えて、言葉として適当なのか迷う。
「こんなもの有り難がっているのは、日本人だけだ」という声を聞くが、そりゃそうだ、日本人の遺伝子はワイン、ことに赤ワインを美味しいと感じるはずがなく(このへんかなり、私の偏見だと思うが)、このボージョレヌーボーなら、葡萄ジュースにアルコール添加した、言ってみればカクテルとかリキュール感覚で飲めるからだ。
もちろん、私も早速開けてみた。
魚ばかりの我が家の食卓には、少し違和感があるので、娘達に命じて?チーズを買って来させた。
カマンベールチーズにおぢだれを少しかけて食べると、これが誠に風味高くて美味しい。
おぢだれ????懐かしい言葉・・・またいつか説明しよう。
実家の父が大腸検査の際に、内視鏡が腸を突き破るという医療ミスがあり、緊急手術を受けたと兄から連絡が入った。
押っ取り刀で実家へ駆けつけると、命には別状がなく、現在集中治療室に入っていて、すこぶる元気だという。
それではお茶を一杯ということで、庭の大きくなった酔芙蓉を眺めながら、二時間ほど運転して疲れた腰を伸ばした。
この酔芙蓉は、もう時効だから良いと思うが、今から18年ほど前、両親と引率の弟がパ
プアニューギニアのニューアイルランドという小島から種子を持ち帰ったものである。当然、現在もいやその当時の方が病害虫の防除のために良くないことだったのは言うまでもない。
18年前というと両親は66歳、朝咲いた花は白いのに夕方になると赤く染まる芙蓉を美しく感じ、ついつい種子に手が伸びてしまったのだろう。
では、何故年老いた両親がツアーのない、飛行機だけで乗り換えが4回もある孤島にいったのだろうか。
それは、太平洋戦争である。父は先の大戦の際、有名なラバウル(ニューブリテン島)のすぐ隣の小さな島に従軍していたのである。幸いと言ってはおかしいが、それほどの激戦地ではなかったらしく、殺すことも殺されることもなく、原住民とも仲良くやっていたとのことである。しかし、これは日本軍から見てのことで、本当の住民感情は推測できない。
ただ、私の子どもの頃だから昭和30年代の後半だろうか、非常に懐かしそうに戦地の話をしてくれた。原住民との会話のためのノートなどもあり、何度も「もう一度行ってみたい」とつぶやいていた。それを聞くだけで、子供心に原住民にひどいことをしてきたのではないな、と考えることができた。
その頃は、「戦友会」などの主催で遺骨収集団が結成され、団体で遺骨を収集しながら現地を訪れることが何年に一度かは計画され、人員の募集があった。しかし、その時期は我々子ども達が育ち盛り、一家の大黒柱が数週間家を空けることは不可能で、あきらめていた。
時は過ぎ、遺骨収集団も結成されることがなくなり、戦争は風化。しかし、息子3人は確実に成長、ある年の正月に酔った勢いで相談した。「親父も歳をとってきて、早く行かせてやらないと、行けなくなっちゃうぞ」しかし、ツアーもないど田舎、日本語通じないし、などと酒の肴にしていたら、弟が「俺、会社に入って10年だから、特別休暇もらえる」と言いだした。「じゃあ、おまえ引率兼通訳で自分の旅費を出せ、俺たち(兄と私)は親父とお袋の分を出す」ということで、トントン拍子に決定してしまったわけである。
両親は旅行にあたって、現地の子どもたちにということでノートや鉛筆を沢山持っていき、配ったらしい。お礼にパパイヤなどの果物を子どもたちが沢山持ってきてくれた写真があった。
現地は父が居た頃と全く変わりはなく、父の知っている方もご存命だったという。
日本に帰ってからしばらくは、浦島太郎のように、頭の中が変だったと父が後で語ってくれた。
きょう病院を見舞った際の父は元気で、もう歩くように言われたらしい。とんだ災難であったが、また元気に頑張って欲しい。
午後になると酔芙蓉が少しピンクに染まってきた。
台風10号が西日本に近づいているらしい、そのおかげか今朝は少し風があるが異常な湿気と温度である。
碧南の海底トンネルから真っ直ぐに蒲郡方面に走ったところ(西尾市)に電光掲示板が設置されていて、気温と「走行注意」の文字が点灯している。
ここは運河のような川を跨ぐ高架橋になっているので急な坂道である、当然冬は雨や雪が降って温度が下がると凍結する。したがって、一定温度以下になると「走行注意」が「凍結注意」と変化する。
私は毎朝ここを通って一色町まで通っているが、そのほかの文字に変わったことはないので、この二つのパターンなのだろう。ほぼ一定時間に通っているので、その日一日の暑さ寒さの目安になって良い。
それにしても今朝の温度、早朝5:20の温度である。
ヒオウギガイを食べたら種苗生産のことを思い出した。というか今でもこの頃の夢を見るのだ。
ヒオウギガイを産卵させ精子を混ぜて受精させ、30リットル水槽に入れておくと底に沈殿する。翌朝孵化したヒオウギの幼生は水面に浮上しているのでサイフォンで浮上した元気な幼生だけを別の水槽にとる。すぐに良く攪拌して5ccのサンプルをいくつか取り、cc当たりの幼生数を計数。そして500リットル水槽へ一定数入れて約20日間浮遊幼生の飼育が始まる。
殻長100ミクロンに足らない幼生だから、餌は当然植物プランクトンを培養して与える、植物プランクトンは「餌料プランクトン」として実績のあるものが各水産試験場などで純粋培養されているので、それを種としていただいてきた。
この餌の培養という仕事が結構大変で、30リットルの水槽を棚に数十個並べて、蛍光灯の光を与えると室内の温度はぐんぐん上昇してプランクトンが枯れてしまう。
そこでクーラーでひやしながら培養しなければならないのだが、今度は純粋培養のように培養海水をオートクレーブできないので、どうしても他のプランクトンが混じりやすく、結果細胞数が伸びなかったり枯死してしまうことが良くあった。
私が現在見る夢は必ずこのプランクトンを枯らしてしまった夢。それも自分の横着さからである。そうすると「また一からやり直しだなぁ~」と思いながら眼が覚める。
実際には二重三重に保険をかけてあるので、クーラーが停まってしまわない限りこのようなことはないし、一度もなかったのだが何故かこの夢を良く見る。
余談だが餌として与えるプランクトンも数を計数して、ヒオウギガイの飼育水1ccに何個というように与える。上の写真は血球計算盤に載せて計数しているプランクトンである。調子がよいと800万細胞/ccくらいまでは増殖した。
試験場などのお金のあるところでは、やはり血球も計数出来るコールターカウンターを使用していたがこれを使うと飼育水の残餌プランクトンも計数出来るので。ヒオウギガイの幼生が一日当たり何個のプランクトンを食べた、ということも計算できた。
この仕事をやめて20年・・・トラウマになっているのかなぁ・・・・・
鮎が売られていた、それも天然だという、全くの素人ではあるが鮎の顔つきや体型から、「そんな馬鹿なことはあるまい・・・」と思いつつ買うつもりもないので通り過ぎたがその上の箱、なんて書いてあるのか目を疑った。
そう、「天然仕上げ」。
以前確か「半天然」とか言って売っていた類ではないか。「半天然」の表示は確か禁止になったという記憶がある。
「天然仕上げ」では「天然のように仕上げてある=天然ではない」ということで許可されているのだろうか?
確かに鮎ほど天然と養殖の品質の差が大きいものはないだろうが、あわよくばその天然という言葉に反応してくれれば、という姑息な考えがないとは言い切れない。
そう普通の養殖鮎と「天然仕上げ」と呼ばれる養殖鮎に明確な差があるのか、あるのならその違いは何か、どのようにしたものが「天然仕上げ」なのかを商品に表示しなければならないだろう。
産地は高知県、19尾で1000円とのこと、気になったのでnetで天然鮎の価格を調べたら、同じ高知県仁淀川の天然鮎を通信販売しており、価格は500g(7~9尾)8400円だそうだ、もちろん送料等の諸経費は別。
どうやら、前の天然物も本当に怪しくなってきた・・・・・
きょうは、お休み。家で原稿をまとめている、昨日までは実に学生以来何年ぶりかで毎日図書館へ通っていた。家では少し飽きるとすぐに、パソコンで遊び出す始末、窓際なのでベランダに出て遠くを見ていても、暑くもなく寒くもない、という誠に良いお天気。
遠くに境川が見える、尾張と三河を分ける境だから境川。右手を見るとお城の跡がある。そう、ここは徳川家康の母お代の方の縁あるところ。
話はがらっと変わって、ベランダの鉢植えではなく発泡スチロール植え。イチジクをベランダで作ろうと、美味しい種類のイチジクを三年前に挿し木して昨年、ここへ持ってきたのだが実を付けなかった、いや付けたのだが熟さなかったのだ。
このイチジクは、普通のイチジクと並んでいると虫や鳥たちが必ずこちらを食べるという素晴らしく美味しいもの。あまりイチジクを食べない私も、これだけは美味しい、と知り合いの畑へ出向くのだが、ハチやカナブンとの競争になる。
しかし、今年は何と既に4つが実を付けている。葉の勢いもあるので何とか期待できるのではないだろうか、敵は虫や鳥たちでないことは確かである。
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