ここは西尾市一色町の海岸部、俗に新田と呼ばれる広大な部分です。新田と言われているのですから、明らかに埋め立て地でこの新田は『竹生新田』と呼ばれていますが、「ごほう」と呼ばれている場合もあります。
40年ほど前に、一部が産業廃棄物の埋め立て地となっていましたが、また再び産業廃棄物の埋め立て地候補となり、なんでも買収が済んだとか言われたのが数年前、それまでは殆どが養鰻場でしたが、昨今のシラスウナギ高騰で、養鰻場(特に露地池)は需要が減り、軒数も減ったので、完全に買収されたと聞きましたが、それにしては工事が始まらない。一時期、買収した養鰻場の鉄骨ハウスを壊しているのは知っていましたが、一体どうなったんでしょうね?確かに、この新田以外はまだ養鰻業は盛んですし、この前は三河湾。これも最近めっきり弱体化した、アサリ漁もまだありますし、乗りの養殖場でもあります。
ですから、産廃場建設反対の地域運動も細々行われてはいましたが、その影響なんでしょうか?
一応、買収した産廃場の土地なんでしょうが、堤防から歩いて侵入することが出来ましたので、散歩してみました。ここは餌を練ったり、保管する小屋ですが隅に大きな竈門のようなものがあります。
これは何かと言いますと、大きな竈門・・・そのものなんです。
半世紀以上前に、配合飼料が出来る前の鰻の餌は、蚕のサナギか、魚だったのです。
この地区はサナギはありませんので、季節季節の魚(鯖やホッケ等)を貨車で取り寄せ、針金で10~20尾を目刺しして、露地池に入れ与えていたのですが、魚の皮って結構固いのでうなぎが食べられません、最初は包丁で皮に傷を付けて与えていましたが、数が莫大なので気がついたのが、熱湯に通すということ。そうすると、皮が柔らかくなって鰻も食べることが出来ます。一定時間行けに吊しておけば、きれいに骨だけにしてしまいます。
この竈門を見ると、薪で湯を沸かしていたことが分かります。またもう、釜はなくなっていますから、盗られてしまったのかもしれません。
シラスウナギの池入れ量は、この一色町で昭和の最後から平成初期は最盛期17トン以上入っていましたが、現在は4トン前後、往時は鰻屋さんは天下を取ったような方々ばかりで、鰻御殿が町内に次々と建ったものです。この辺の狭い道も、軽トラックと餌屋の配達の車、鰻問屋の出荷したトラックがひっきりなしに走っていましたが、今は通るのはタヌキとキツネ、ヌートリアくらいの文字通り、けもの道になってしまっています。
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