シャッター通りのその次は・・・
刈谷市ではずいぶん前から、刈谷城復元計画があると言います。誰が推進派で、誰が反対派かは知りません。
いつも申し上げているように、刈谷市はお金持ちですからねなんとかその、企業城下町のおこぼれに預かろうという方がいらっしゃるのは当然のことでしょう。問題はいつものように大きくて立派で金が掛かったものを作り上げて、何の利用もしていない歴史博物館のようなものになりはしないかと心配はしていますね。
私の身内がよく出入りしている静岡県の掛川城を復元した経緯っての兄に聞きました、
白木さんというお金持ちの女性が掛川に引っ越しをされて来て、掛川城の復元の提案をされたそうです、その時「復元の費用は寄付でまかなった方が良い」「私も寄付をするが、全て出すことが出来るがそうすると、復元された掛川城は『白木城』と呼ばれる恐れがあるから、広く市民に呼びかけよう」と仰り、本人は5億円寄付されたそうです。
そして出来上がった掛川城は、白木城と呼ばれることはなく、色々なボランティアの方々の支えられ外国からのお客様も多いと聞きます。
そして、ここは昔の刈谷城の外れ、城下町の一部です。町の名前は刈谷市銀座・・・そうその昔は、刈谷市の中心だった場所です。
なんとこの通りは、その昔アーケード街で大賑わいだったようです。今この通りには店舗は一軒もありません。
つまりアーケード街から恐らくシャッター街になり、今のこの道路を拡張した見たとおりの静かな道路になってしまっています。今は住宅街ですね。
ではここが、江戸時代から「銀座」と呼ばれる町だったのか?と言うと、どうもそれは違うようでしてね・・・・
その昔は肴町という江戸時代なら城下町に実にふさわしい名前だったらしいです。このような由緒ある風情豊かな地名を、賑わっているからと東京の銀座に模してあっさり変更してしまう自治体が城を復元しても、維持管理する気持ちも能力もなく、あっという間に飽きてしまうと思いますね。
掛川には当然、肴町も塩町も紺屋町などの職業にまつわる町名も、十九首などの歴史的な名前も残されています。


















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