2025年9月10日 (水)

牧之原市

静岡県西部生まれの私ですから、牧之原という地名を聞けば、浜松市と静岡市に挟まれた広大な牧之原台地を想像します。そこには明治維新の際に、徳川の幕臣たちが開墾したことで有名です。私は清水の次郎長さんたちも、開墾したと思っていましたが、これは私の思い違いのようです。

牧之原市で竜巻が発生して、大被害を出し隣の吉田町では、一人の方がなくなったと昨日のニュースで盛んに報道していました。「牧之原市」ってどこだろうか???実は、その場所を知りません。wikiで見てみると、平成17年に榛原郡榛原町と相良町が合併してできた市なんだそうです。いわゆる平成の大合併ですね。しかし、相良町という由緒ある名前が消えてしまったのにはがっかりです。

相良町は江戸時代塩の生産も盛んで、ここから信州までその塩を運ぶ『塩の道』が形成されていたことは、歴史的にも有名で、私のブログでも何度も紹介してきました。我が家の婆さんが産まれた生家の裏を通り、その後二つに分かれて、一本が私の母親の生家の前を通り、もう一本が私が生まれた家のすぐ東を通っていました。話がそれましたが、それが遠州森町の手前で一本になり、秋葉山を抜け、愛知県の奥三河を通り、信州まで繋がっていたのです。

そして相良で忘れてはならないのが、『田沼意次』さん、彼が政治を行っていた末期には、賄賂政治の汚名を着せられて、悪政だとの評判を立てられましたが、実際には直後の松平定信一派が立てた悪評だったようで、今では田沼政治は非常に高く評価されているようです。

田沼政治に関して、もちろんあまりよく知らない私ですが、もう一つ彼の功績の素晴らしさ、面白さに『剣術』があります。

ご存じ、池波正太郎さんの『剣客商売』には剣術好きの田沼さんが登場しますし、田沼さんの娘の佐々木美冬は秋山小兵衛の息子大二郎の奥さんになります。シリーズ化されたこの小説は、池波さんが亡くなるまで続き、最後は未完で終わっています。実に残念。

田沼さんの剣術好きは、このシリーズの随所に見られ、いろいろな場面に登場しますが、どうやら実世界でも、田沼さんは剣術好きだったようで、私が高校生の頃、静岡県中部では相良高校と榛原高校が、いろいろな大会で上位に勝ち進んでいましたし、御前崎を含む地域で剣道が盛んでした。七曜旗杯剣道大会ってのもありましたし今でもあるようですね。この七曜紋が田沼さんの定紋ですね。田沼さんが失脚してから300年近くも経っているのに、まだその面影が残っているのがとても面白くも素敵だと思います。

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2025年9月 8日 (月)

クーリングシェルター

先週の月曜日、恒例の孫二人を習字塾に連れて行き、車で待っていたのですが、あまりに暑い。

習字塾をやっている場所が、地域のコミュニティセンターと言って、公民館のような所で、入り口にクーリングシェルターと書いてあるので、おずおずと入ってみた。すると同じように習字の送迎に来たと思われるお母さん方が三人ほどソファでだべリングの真っ最中、奥にも椅子があるので行ってみると、こちらは同年配の男性数人。話している内容が耳に入ってくるので、聞くはなしに聞いていると、お寺の話や、般若心経の節をどう付けるかというようなお話。どうやらこの方々はこの地区の、役員の皆さんのようです。偶然なのか定例なのか、役員会をクーリングシェルターの場所でやっているのに出くわしてしまったわけです。もちろん、私に話しかけることもないし、普通に大人しく文庫本を読んでいましたが、なるほどクーリングシェルターって良いもんだなぁ~と思った。思えば、この地区には現在何の税金も落としていないし、貢献もしていない。しかし、酷暑の日本の夏を、短時間お邪魔して涼を取る。今日も又習字塾があるので行ってみようと思います。
Library1

一方こちらは、今は使っていない『城町図書館』昨年の6月に閉館したときに、せめて夏まで開いてクーリングシェルターにしたらどうだろうか?とこのブログでも書いたが、今年で2回目の夏を超すことになってしまった。
Library2

お役所仕事だから、耐用年数がどうのこうのと言って、市民に開放することはなかったのだが、やっと取り壊すことを決めたようで、足場や工事機械が置かれるようになった。刈谷市のホームページを見ても、何も書かれておらず、取り壊した跡がどうなるのかも不明。
Library3

敷地内にある、由緒ある石碑等は工事関係者が、粉砕してはいけないと「残す」とシールが貼ってある。

さてさて、どうなるのか???楽しみである。

 

 

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2025年8月12日 (火)

大エジプト展

昨日の午前中、はっきりしない天気の中老夫婦は、ゴロゴロと怠惰に過ごしていました。すると、「博物館に行かないかい」という二女からのお誘いがあり、喜んで行くことにしました。

豊田市博物館で『エジプト展』をやっているというのです。そう言えば、前夜の会食の時に娘達がミイラが見たいと話していました。

私にとっての豊田市はあまり馴染みのない町で、その昔一度だけ来たことがある町だというだけで、ごく一般的な方々が思い起こす『TOYOTA』のイメージがあるだけの田舎の地方都市です、しかし金はあるのでしょうね、森村誠一氏の推理小説に出て来そうな、陰謀渦巻く、怪しげな街のイメージです。これは刈谷市も同様ですが、特定の企業が異常に発展すれば、怪しげなことも起きてくるのが普通です。

さて、博物館に着くと、運良く駐車場に車を停めることができ、歩いて会場に向かうと長蛇の列、係の方に待ち時間を伺うと80分待ちだとか。それだけ待って、見学をしてとなると、お腹が空いてしまうと、先に食事をすることになりました。

近くのトンカツ屋さんで腹ごしらえして、博物館に戻ると、先ほどよりは空いていて、30分程で会場に入ることができました。

エジプト展ですから、歴代のエジプト王朝のレリーフや、石像などの遺物が展示されています。しかし、テーマが漠然とし過ぎていて、理解するところまでは行きません。海洋生物のテーマで海岸に連れて来られたような感じです。もう少し時代や人物または王朝を絞ってくれるとありがたいのですけどね。まあこれはブルックリン博物館からスッポリ借りた展示なので、無理もありませんけどね。

入場料は2300円だそうですが、豊田市は偉い、市内在住の70歳以上は無料だそうです。刈谷市の歴史博物館では、実に狭い場所でチンケな特別展をやっても数百円をしっかり取りますからね。

小5のみちたんと小3のカプちんの孫も一緒でしたが、大人しく見学していました。意味は分からないでしょうけどね。

真夏の1日、暇つぶしさせてもらって感謝、感謝です。

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2025年7月26日 (土)

万燈祭

今朝、刈谷球場近くを徘徊していたら、小さなワンコを連れた方にすれ違いざまに「からっぽさん?」(実際には姓を呼ばれたのですが)と声をかけられました、私はこの地区に友人や知り合いが少ないので、あまり声をかけられると思わずに、歩いているのが常です。

すると、近所に住むIさんでした。今50代位だと思いますが、二十年ほど前、この地区のお祭り『万燈祭』に一緒に参加した方です。もっとも、私は地元の人間ではないので、住んでいる集合住宅の役員として、半強制的の参加、彼らは昔ながらの、住民で子供の頃から祭りを楽しんで来た方です。

祭り自体は、参加希望者を募っていて、誰でもウェルカムと言っていますが、田舎にありがちな、排他的な方々も居ます。このIさんは、常に気さくに接してくれて、年上の私にもとても礼儀正しい方でした。ですから、声をかけていただいてとても嬉しく「今日明日と万燈祭だね、頑張ってね」と伝えると「ありがとうございます、また見に来てください」と答えてくれました。

ちょうど毎年、七月の最終週の土日開催ですから、とても暑く、初日の土曜日は毎年熱中症の若者が出ますが、不思議な事に、翌日日曜日には熱中症は出ませんでしたね、やはり慣れなんでしょうね。

またこの時期、夕立が多い時期ですから、雨に弱いハリボテの万燈を守るため、すっぽり被せる大きなビニールが用意されています。

今日明日は雨が降らなければ良いのですが。

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2025年7月18日 (金)

明日は土曜丑の日

明日が土曜丑という事で、一色町の仲の良い鰻屋さんが、鰻を下さると連絡がありました。高価なものでおまけに商売もの、謹んでお断りしたのですが、それなら私の家まで持って行くと仰る。それではお忙しい鰻屋さんに、そこまで手を煩わせてはいけませんので、遠慮なくいただきますと、今朝、一色町へ行って来ました。なんと、うなぎの開きを依頼している方は、早朝4時には開いてしまうと言うので、5時前後に到着するように、行って来ました。

ついでに、さかな村へ寄って来ましたが、このところの悪天候で、何もありません。

そう言えば、一色の市場は土曜丑の日は休日です。一色中の鰻屋さんが、親戚や友人に鰻を無料で差し上げる日なので、魚が売れないから、船も出ないと言われていました。その昔は、鰻養殖業者が200軒前後、関連の問屋さんや、加工屋さんもありますから、確かに町内には鰻が飛び回った事でしょう。

しかし、次第に鰻業界も不景気になり、廃業する方も増えて来ました。現在は、養殖業者も半分以下になってしまいましたから、昔ほど、ただの鰻が出回ってはいないと思いますが、土曜丑は休みという習慣は変えないようです。

6時には帰宅しましたので、そこから鰻を焼きました。新仔と言われる今年のシラスですから、非常に柔らかく家庭のグリルでもフンワリ柔らかに焼き上げる事ができます。

明日は孫たちにも夏バテしないように、しっかり食べてもらおうと思います。

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2025年2月18日 (火)

きょうは雨水

雨水の頃から、空から降るものが雪から雨に変わるという、きょうが今年の雨水です。ところがどうでしょう、雨どころか白いものが日中もチラホラ。北国はまた大雪に注意しなければいけないようです。

先ほど、孫の家に行ったらもうひな人形がでていました。雨水にひな人形を飾ると良縁に恵まれるそうです・・・と毎年言っているような気がします。
Hina

私が孫に買ってあげたひな人形は、うん段飾りという本格的な、ひな人形ではなく、団地サイズと言われるものしか予算がありませんでしたから、それで我慢して貰いましたが、これはまた多治見の幸兵衛窯のペルシャ色絵の焼き物です、これはこれで気に入ってくれているので、同じように飾ってくれます。

我が家には娘達のひな人形がありますが、飾る場所もないので、この焼き物のひな人形を買い求めようかと思っています。

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2025年2月15日 (土)

剣菱

学生時代だから半世紀以上前、今ではひんしゅくものですが、酒は大学に入ると普通に飲むもので、誰も咎めたりはしませんでした。

なにしろ、4月には新入生歓迎コンパなる飲み会が、毎年開かれ、学部の2年生以上が新入生を歓迎する宴会を、結構公的な施設を借りて行われたものです。学部主催ではないものの、教授・助教授の参加も多く、新入生は初めての酒で酔い潰れる者が多く、トイレは新入生が占領していました。しかし感心したのは流石に最高学府の末席、無理強いして飲ませる先輩はいませんでした。バンカラのイメージが強い学部ですが、礼儀には厳しくても暴力的だったり威張ったりする、先輩はいませんでしたね。

新入生歓迎コンパも終わると、酒が好きな者、嫌いな者に分かれますが、酒が好きな者がそろそろ、講釈を言うようになってきます。

そう、日本酒はテレビで盛んに宣伝していたものより、『剣菱』が美味いと。
Kenbishi

実際には、某教室の教授二人と助手の方が飲んべえで、その方々がこのお酒を飲んでいたからでしょうね。その頃のお酒は、醸造用アルコールを加えて、実際の製造量より増やしていたと言われていましたが、剣菱は正当に作られていった日本酒であると信じられていたんですね。

長崎は九州ですが、焼酎を飲むことはあまりありませんでした。宴会と言えば、ビールか日本酒、スナックへ行くと、ウィスキーの「角」かジンのカクテルでしたね。

その後、剣菱も自社製造ばかりではなく「樽買い」という事を行って、販売する全てが自社の醸造ではないとばれてしまい、評判を落としてしまいました。

と言う訳で、ゆずちゃんの誕生会には剣菱を買って久しぶりに飲んでみました。ゆずちゃんのもう一人に爺ちゃんも来ていたので、一緒に飲みましたが、流石に同世代、剣菱の神話をよくご存知でした。

さて、学部の新入生歓迎コンパですが、翌年はトイレを占領していた新入生が2年生となり、後輩を歓迎していたことは言うまでもありません。

良い伝統でしたが、今はやってないでしょうね。

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剣菱

学生時代だから半世紀以上前、今ではひんしゅくものですが、酒は大学に入ると普通に飲むもので、誰も咎めたりはしませんでした。

なにしろ、4月には新入生歓迎コンパなる飲み会が、毎年開かれ、学部の2年生以上が新入生を歓迎する宴会を、結構公的な施設を借りて行われたものです。学部主催ではないものの、教授・助教授の参加も多く、新入生は初めての酒で酔い潰れる者が多く、トイレは新入生が占領していました。しかし感心したのは流石に最高学府の末席、無理強いして飲ませる先輩はいませんでした。バンカラのイメージが強い学部ですが、礼儀には厳しくても暴力的だったり威張ったりする、先輩はいませんでしたね。

新入生歓迎コンパも終わると、酒が好きな者、嫌いな者に分かれますが、酒が好きな者がそろそろ、講釈を言うようになってきます。

そう、日本酒はテレビで盛んに宣伝していたものより、『剣菱』が美味いと。
Kenbishi

実際には、某教室の教授二人と助手の方が飲んべえで、その方々がこのお酒を飲んでいたからでしょうね。その頃のお酒は、醸造用アルコールを加えて、実際の製造量より増やしていたと言われていましたが、剣菱は正当に作られていった日本酒であると信じられていたんですね。

長崎は九州ですが、焼酎を飲むことはあまりありませんでした。宴会と言えば、ビールか日本酒、スナックへ行くと、ウィスキーの「角」かジンのカクテルでしたね。

その後、剣菱も自社製造ばかりではなく「樽買い」という事を行って、販売する全てが自社の醸造ではないとばれてしまい、評判を落としてしまいました。

と言う訳で、ゆずちゃんの誕生会には剣菱を買って久しぶりに飲んでみました。ゆずちゃんのもう一人に爺ちゃんも来ていたので、一緒に飲みましたが、流石に同世代、剣菱の神話をよくご存知でした。

さて、学部の新入生歓迎コンパですが、翌年はトイレを占領していた新入生が2年生となり、後輩を歓迎していたことは言うまでもありません。

良い伝統でしたが、今はやってないでしょうね。

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2024年12月15日 (日)

恐ろしい世の中

Kira

北九州で、二人の中学生が刃物で襲われて、一人が亡くなったとニュースで流れています。

近年このような通り魔のような事件が多発しています、これは以前から申し上げている、ある疾患の方を国や警察、家族が放置しているからに他なりません。この疾患は通常の方が見えないものが見えて、聞こえない声が聞こえ、被害妄想になって他人に危害を加えます。私も今まで二人ほど知っていますが、実に恐ろしい。一人はもう力のない方だったので、負けることはありませんでしたが、もう一人は筋骨隆々、で襲われたらとても助からないと思える男性でした。

以前は時々、体長(頭の中ですが)がおかしくなると、家の方が警察を呼んで病院に入院させていましたが、近年の人権、人権の連呼で、特に犯罪を起こしていない人間を、捕まえて連行し入院させることは出来ない。と断られてしまうのだそうです。

その後この二人の内の一人は、刃物を持ちながら軽トラックに乗り、あろうことかパトカーを挑発したそうで、逮捕され強制入院されてしまいましたし。もう一人も私の知人を襲い殴って、強制入院。

結局日本はこのような方の適切な治療・処置を、国や自治体が全く行っておらず、ある意味野放し状態。狂犬や熊が放されているのと同じだという認識が一般人にはなさ過ぎるのです。せめて、こういった危険なことがありますよという警報をもっと出さないと、これからもこのような事件は多発することでしょう。
http://pinno601.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_f1a0.html

時は元禄15年、俗に言う忠臣蔵の、原因となった松の廊下での刃傷事件。これも、後の世の人々が、美談に仕立て上げてしまいましたが、私は似たようなことだったと思います。分別ある大名が多くの家臣とその家族が居るにもかかわらず、吉良さんに切りつけるという、言ってみればテロ行為、しかもよくよく調べれば、後の世で言われたような、いじめやましてや、浅野内匠頭の奥様に吉良さんが懸想したなどと言う、馬鹿な話はなく単に浅野さんが切れただけという話が定説になりつつあります。浅野家や吉良家の方々ばかりではなく、吉良家のお膝元吉良町の住民まで不幸にしてきた。全く恐ろしいことです。

ですから私は忠臣蔵という、映画もテレビも大嫌い、絶対に見ません。

 

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2024年12月 8日 (日)

この世界の片隅に

開戦記念日のきょう、『この世界の片隅に』の映画をNetflixで観ました。その昔、漫画アクションに連載されていて、その漫画を見るためだけに、その週刊誌を買い、連載が終わって単行本が出たときにも、三巻を買って読み直してみた。
http://pinno601.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-4ad4.html

何回かこのブログでも紹介してきたが、実は映画が出来上がると聞いたときに、あの原作が違った姿に描かれはしまいかと危惧し、今まで観ることをしなかったのだが、やっと観る勇気が出て観てみた。

感想はと言うと、概ね原作に忠実で、実にきれいに描かれていてホッと一息。すずの声をのんさんが演じていて、彼女がすずさんの雰囲気を上手く出しているのに感心してしまった。
Non

この物語、ほのぼのとし過ぎていて反戦ものではなさそうに感じるのだが、あの有名な『はだしのゲン』よりもずっと戦争の恐ろしさを感じることが出来ると思っていて、この三巻を小六になったゆずちゃんに貸しだしてあげた、時代の違いはあっても、何か感じるところがあるのではないかと思っている。

また一度では分からないことも、何度も読み返せば、この物語の素晴らしさがきっと理解できると信じている。

 

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