2025年2月18日 (火)

きょうは雨水

雨水の頃から、空から降るものが雪から雨に変わるという、きょうが今年の雨水です。ところがどうでしょう、雨どころか白いものが日中もチラホラ。北国はまた大雪に注意しなければいけないようです。

先ほど、孫の家に行ったらもうひな人形がでていました。雨水にひな人形を飾ると良縁に恵まれるそうです・・・と毎年言っているような気がします。
Hina

私が孫に買ってあげたひな人形は、うん段飾りという本格的な、ひな人形ではなく、団地サイズと言われるものしか予算がありませんでしたから、それで我慢して貰いましたが、これはまた多治見の幸兵衛窯のペルシャ色絵の焼き物です、これはこれで気に入ってくれているので、同じように飾ってくれます。

我が家には娘達のひな人形がありますが、飾る場所もないので、この焼き物のひな人形を買い求めようかと思っています。

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2025年2月15日 (土)

剣菱

学生時代だから半世紀以上前、今ではひんしゅくものですが、酒は大学に入ると普通に飲むもので、誰も咎めたりはしませんでした。

なにしろ、4月には新入生歓迎コンパなる飲み会が、毎年開かれ、学部の2年生以上が新入生を歓迎する宴会を、結構公的な施設を借りて行われたものです。学部主催ではないものの、教授・助教授の参加も多く、新入生は初めての酒で酔い潰れる者が多く、トイレは新入生が占領していました。しかし感心したのは流石に最高学府の末席、無理強いして飲ませる先輩はいませんでした。バンカラのイメージが強い学部ですが、礼儀には厳しくても暴力的だったり威張ったりする、先輩はいませんでしたね。

新入生歓迎コンパも終わると、酒が好きな者、嫌いな者に分かれますが、酒が好きな者がそろそろ、講釈を言うようになってきます。

そう、日本酒はテレビで盛んに宣伝していたものより、『剣菱』が美味いと。
Kenbishi

実際には、某教室の教授二人と助手の方が飲んべえで、その方々がこのお酒を飲んでいたからでしょうね。その頃のお酒は、醸造用アルコールを加えて、実際の製造量より増やしていたと言われていましたが、剣菱は正当に作られていった日本酒であると信じられていたんですね。

長崎は九州ですが、焼酎を飲むことはあまりありませんでした。宴会と言えば、ビールか日本酒、スナックへ行くと、ウィスキーの「角」かジンのカクテルでしたね。

その後、剣菱も自社製造ばかりではなく「樽買い」という事を行って、販売する全てが自社の醸造ではないとばれてしまい、評判を落としてしまいました。

と言う訳で、ゆずちゃんの誕生会には剣菱を買って久しぶりに飲んでみました。ゆずちゃんのもう一人に爺ちゃんも来ていたので、一緒に飲みましたが、流石に同世代、剣菱の神話をよくご存知でした。

さて、学部の新入生歓迎コンパですが、翌年はトイレを占領していた新入生が2年生となり、後輩を歓迎していたことは言うまでもありません。

良い伝統でしたが、今はやってないでしょうね。

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剣菱

学生時代だから半世紀以上前、今ではひんしゅくものですが、酒は大学に入ると普通に飲むもので、誰も咎めたりはしませんでした。

なにしろ、4月には新入生歓迎コンパなる飲み会が、毎年開かれ、学部の2年生以上が新入生を歓迎する宴会を、結構公的な施設を借りて行われたものです。学部主催ではないものの、教授・助教授の参加も多く、新入生は初めての酒で酔い潰れる者が多く、トイレは新入生が占領していました。しかし感心したのは流石に最高学府の末席、無理強いして飲ませる先輩はいませんでした。バンカラのイメージが強い学部ですが、礼儀には厳しくても暴力的だったり威張ったりする、先輩はいませんでしたね。

新入生歓迎コンパも終わると、酒が好きな者、嫌いな者に分かれますが、酒が好きな者がそろそろ、講釈を言うようになってきます。

そう、日本酒はテレビで盛んに宣伝していたものより、『剣菱』が美味いと。
Kenbishi

実際には、某教室の教授二人と助手の方が飲んべえで、その方々がこのお酒を飲んでいたからでしょうね。その頃のお酒は、醸造用アルコールを加えて、実際の製造量より増やしていたと言われていましたが、剣菱は正当に作られていった日本酒であると信じられていたんですね。

長崎は九州ですが、焼酎を飲むことはあまりありませんでした。宴会と言えば、ビールか日本酒、スナックへ行くと、ウィスキーの「角」かジンのカクテルでしたね。

その後、剣菱も自社製造ばかりではなく「樽買い」という事を行って、販売する全てが自社の醸造ではないとばれてしまい、評判を落としてしまいました。

と言う訳で、ゆずちゃんの誕生会には剣菱を買って久しぶりに飲んでみました。ゆずちゃんのもう一人に爺ちゃんも来ていたので、一緒に飲みましたが、流石に同世代、剣菱の神話をよくご存知でした。

さて、学部の新入生歓迎コンパですが、翌年はトイレを占領していた新入生が2年生となり、後輩を歓迎していたことは言うまでもありません。

良い伝統でしたが、今はやってないでしょうね。

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2024年12月15日 (日)

恐ろしい世の中

Kira

北九州で、二人の中学生が刃物で襲われて、一人が亡くなったとニュースで流れています。

近年このような通り魔のような事件が多発しています、これは以前から申し上げている、ある疾患の方を国や警察、家族が放置しているからに他なりません。この疾患は通常の方が見えないものが見えて、聞こえない声が聞こえ、被害妄想になって他人に危害を加えます。私も今まで二人ほど知っていますが、実に恐ろしい。一人はもう力のない方だったので、負けることはありませんでしたが、もう一人は筋骨隆々、で襲われたらとても助からないと思える男性でした。

以前は時々、体長(頭の中ですが)がおかしくなると、家の方が警察を呼んで病院に入院させていましたが、近年の人権、人権の連呼で、特に犯罪を起こしていない人間を、捕まえて連行し入院させることは出来ない。と断られてしまうのだそうです。

その後この二人の内の一人は、刃物を持ちながら軽トラックに乗り、あろうことかパトカーを挑発したそうで、逮捕され強制入院されてしまいましたし。もう一人も私の知人を襲い殴って、強制入院。

結局日本はこのような方の適切な治療・処置を、国や自治体が全く行っておらず、ある意味野放し状態。狂犬や熊が放されているのと同じだという認識が一般人にはなさ過ぎるのです。せめて、こういった危険なことがありますよという警報をもっと出さないと、これからもこのような事件は多発することでしょう。
http://pinno601.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_f1a0.html

時は元禄15年、俗に言う忠臣蔵の、原因となった松の廊下での刃傷事件。これも、後の世の人々が、美談に仕立て上げてしまいましたが、私は似たようなことだったと思います。分別ある大名が多くの家臣とその家族が居るにもかかわらず、吉良さんに切りつけるという、言ってみればテロ行為、しかもよくよく調べれば、後の世で言われたような、いじめやましてや、浅野内匠頭の奥様に吉良さんが懸想したなどと言う、馬鹿な話はなく単に浅野さんが切れただけという話が定説になりつつあります。浅野家や吉良家の方々ばかりではなく、吉良家のお膝元吉良町の住民まで不幸にしてきた。全く恐ろしいことです。

ですから私は忠臣蔵という、映画もテレビも大嫌い、絶対に見ません。

 

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2024年12月 8日 (日)

この世界の片隅に

開戦記念日のきょう、『この世界の片隅に』の映画をNetflixで観ました。その昔、漫画アクションに連載されていて、その漫画を見るためだけに、その週刊誌を買い、連載が終わって単行本が出たときにも、三巻を買って読み直してみた。
http://pinno601.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-4ad4.html

何回かこのブログでも紹介してきたが、実は映画が出来上がると聞いたときに、あの原作が違った姿に描かれはしまいかと危惧し、今まで観ることをしなかったのだが、やっと観る勇気が出て観てみた。

感想はと言うと、概ね原作に忠実で、実にきれいに描かれていてホッと一息。すずの声をのんさんが演じていて、彼女がすずさんの雰囲気を上手く出しているのに感心してしまった。
Non

この物語、ほのぼのとし過ぎていて反戦ものではなさそうに感じるのだが、あの有名な『はだしのゲン』よりもずっと戦争の恐ろしさを感じることが出来ると思っていて、この三巻を小六になったゆずちゃんに貸しだしてあげた、時代の違いはあっても、何か感じるところがあるのではないかと思っている。

また一度では分からないことも、何度も読み返せば、この物語の素晴らしさがきっと理解できると信じている。

 

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2024年9月24日 (火)

掛川行(後編)

小6の孫ゆずが友達にお土産を買いたいから、どこか掛川のお土産を売っているところに行きたい。と言うので、兄の家を辞去して、掛川城近くまでやって来ました。
Kakegawa2

結局大したお土産はなかったのですが、全員でソフトクリームを食べたり、記念写真を撮ったりしていましたが、私には懐かしい所なので、散策してみました。

本丸の再建以降、お城に来たことはあるのですが、あちこち工事されていて、昔との場所の合致が出来ませんでした。今回この位置からよくよく眺めてみると、何となく昔の面影が浮かんできます。
Kakegawa3

城の入り口の左、この部分にその昔、何種類かの動物が飼われていたことがありました。動物と言ってもカニクイザル(ももこという名前でした)熊、クジャク、カラスなどでしたが、その熊が小学生の女の子の足に噛みついたという話が出てきましてね。単に都市伝説かと思ったら、我が家の婆さんも知っていましてね、その被害者も知っていましたから、本当の話だったんですね。
Kakegawa4

その向かい側が掛川市役所だったんです。この橋の欄干の向こう側、木の塀に囲まれたところで、何が出来ているかと歩いてみましたが、広大な空き地があるだけでした。やはり、裕福な刈谷市とは違いますね。掛川市の中心部の中の中心部ですが、有効活用するだけの金がないのでしょうね。

この橋が架かっている川は「逆川」と言って、江戸時代には一応、お堀の役目をしたのでしょう。

その後帰途につきましたが、浜松インターで夕食、静岡おでんなど思い思いのものを買ってきて、いただきました。

今回も素晴らしく楽しい旅が出来ましたが、娘達とその連れ添い、孫達に本当に感謝でしかありませんね。通常、なかなかこのような事を計画して、直ぐに行動に移してくれる事はありませんからね。

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2024年8月30日 (金)

強者どもの夢の跡

ここは西尾市一色町の海岸部、俗に新田と呼ばれる広大な部分です。新田と言われているのですから、明らかに埋め立て地でこの新田は『竹生新田』と呼ばれていますが、「ごほう」と呼ばれている場合もあります。
Tikubu1

40年ほど前に、一部が産業廃棄物の埋め立て地となっていましたが、また再び産業廃棄物の埋め立て地候補となり、なんでも買収が済んだとか言われたのが数年前、それまでは殆どが養鰻場でしたが、昨今のシラスウナギ高騰で、養鰻場(特に露地池)は需要が減り、軒数も減ったので、完全に買収されたと聞きましたが、それにしては工事が始まらない。一時期、買収した養鰻場の鉄骨ハウスを壊しているのは知っていましたが、一体どうなったんでしょうね?確かに、この新田以外はまだ養鰻業は盛んですし、この前は三河湾。これも最近めっきり弱体化した、アサリ漁もまだありますし、乗りの養殖場でもあります。
Tikubu2

ですから、産廃場建設反対の地域運動も細々行われてはいましたが、その影響なんでしょうか?
Tikubu4

一応、買収した産廃場の土地なんでしょうが、堤防から歩いて侵入することが出来ましたので、散歩してみました。ここは餌を練ったり、保管する小屋ですが隅に大きな竈門のようなものがあります。

これは何かと言いますと、大きな竈門・・・そのものなんです。

半世紀以上前に、配合飼料が出来る前の鰻の餌は、蚕のサナギか、魚だったのです。
Tikubu5

この地区はサナギはありませんので、季節季節の魚(鯖やホッケ等)を貨車で取り寄せ、針金で10~20尾を目刺しして、露地池に入れ与えていたのですが、魚の皮って結構固いのでうなぎが食べられません、最初は包丁で皮に傷を付けて与えていましたが、数が莫大なので気がついたのが、熱湯に通すということ。そうすると、皮が柔らかくなって鰻も食べることが出来ます。一定時間行けに吊しておけば、きれいに骨だけにしてしまいます。
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この竈門を見ると、薪で湯を沸かしていたことが分かります。またもう、釜はなくなっていますから、盗られてしまったのかもしれません。

シラスウナギの池入れ量は、この一色町で昭和の最後から平成初期は最盛期17トン以上入っていましたが、現在は4トン前後、往時は鰻屋さんは天下を取ったような方々ばかりで、鰻御殿が町内に次々と建ったものです。この辺の狭い道も、軽トラックと餌屋の配達の車、鰻問屋の出荷したトラックがひっきりなしに走っていましたが、今は通るのはタヌキとキツネ、ヌートリアくらいの文字通り、けもの道になってしまっています。

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2024年8月18日 (日)

ナツメ

亀城公園の中に一本だけナツメの木があるのを知っているので、見に行ってきました。
Natume2

このナツメの木は、もう本体がかなり傷んでいて、あまり長く保ちそうにはありません。ですから、枝の先端部分だけに葉が付いていて、またその場所だけに実がなっています。
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幹はこんな感じ。日当たりも水はけも良い場所なので、そんなに簡単に枯れるとは思えませんが、虫でも入っているのでしょうか。

ナツメは私が小学生の頃ですから、半世紀・・・いや60年以上前に、近所のお宅に木がありましてね、その頃は慢性的に飢えている頃でしたから、そのナツメの実を食べたものです。これは色づいたものより、緑色のものの方が美味しかったような記憶があるので、採って食べてみました。皮が厚く、種が大きい実ですが、シャキシャキとどこかリンゴの風味が感じられます。懐かしい味ですが、決して美味しいものではない。
Natume1

こんなものでも腹を満たすために食べていたんだな~と感慨無量。我が家の孫達では、食べてみようなんて気にもならないでしょうね。

もちろんナツメは日本原産の木ではありません。wikiによりますと、南ヨーロッパ原産で中国を経て奈良時代に日本に入ってきたとか、かなり古い話ですね。茶器の棗はこの実に形が似ているからだそうです。実を採ってきて写真を撮らなければいけなかったですね。明日でも間に合うかな。

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2024年8月 9日 (金)

長崎

長崎に原爆が投下されて、今日で79年です。

長崎でお世話になった身としては、毎年意識はしていますが、近年投下時間には式典の声に合わせて黙祷をすることにしています。
Nagasaki1

きょうはまた暑い日でしたから、参加者の皆さんが体調を悪くしないか心配していました。

数日前に、イスラエル大使を招待しないということで大騒ぎしていましたし、それに対する抗議なのかアメリカやイギリス、カナダ、イタリアの大使が欠席表明をしたそうですが、何とけつの穴の小さいことか。(長崎がではなく、欧米諸国がですよ)

私は、長崎市が判断したことですから、それで良いと思いますね。アメリカ大使が「政治的に・・・云々」と言ってましたが、それこそ欠席することの方が政治的に忖度しているとしか思えませんね。

79年前、無辜の市民に原子爆弾を浴びせ、数万の罪のない人びとを殺したのですから、ロシアだけでなくイスラエルだって、ガザ地区の老人子供に対する無差別爆撃に対し、長崎市民を代表して「NO!」を突き付けて何がいけないのでしょうか。
Nagasaki2

原爆投下は何度も言いますが、明らかな人体実験です。しかも、黄色人種だったから、平気であんなことができる、明らかな人種差別だったと思いますね。

私が長崎に住んだのは昭和47年、原爆投下からたったの27年しか経っていません。その頃の大人は全て、原爆を経験されていましたし、同級生も原爆二世と呼ばれて原爆後遺症に不安を抱えている方が大勢いらっしゃいました。

被災者の方が「最近、欧米の方々の原爆に対する意識が変わってきた」と仰っていましたが、私は何にも変わってないと思います。原爆投下の正当性と、放射能の直接的・間接的な恐ろしさってものは全く理解していませんし、これからも理解しようと思っていませんからね。

今でもハリウッド映画では、簡単に核爆弾を爆発させてしまいます。爆撃の恐怖しか言わずに、放射能汚染なんて全く無視です。

ですから、あの連中またやりますよ。もちろんアメリカだけでなく、ロシアや中国も同じ穴の狢です。

 

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2024年7月28日 (日)

今朝も暑い

昨日からのお祭りですが、あまり夜遅くまで騒がなくなったようですね。

昨夜、太鼓や笛の音がピタッと止んだのは、昨日の内の11時半頃でした。以前は12時までは喧しかったものです。地域の祭ですし、一年間楽しみにしていた方も多いでしょうから、苦情を言うのは野暮ってものです。

例年ですと必ず夕立があるため、万燈にスッポリかぶせるビニールの合羽を用意しているのですが、使わないのが一番です。

今朝は朝から気温は上昇していますが、風がよく通るためあまり暑くは感じません。
Today_20240728103101

8時過ぎに我が家は30度を超え、9時には32度に近くなってきましたが、湿度もそれほど高くはなく、何とか我慢をしていました。しかし、ついに32度を超えると、風が熱風になってきたのでエアコンを点けました。

万燈に参加している若者も、暑さに慣れていない初日に熱中症になり、足を痙攣させたり、気分が悪くなって脱落してしまいますが、二日目にはやはり慣れでしょうね、脱落者はいなくなります。また、風が少しでもあると、みんな元気ですから、きょうも頑張ってほしいものですね。夜になったら見物に行きましょう。

 

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